眠りの質の悪さ、身体にたまった疲れ。気がふさぐ傾向があって、有給休暇をとった。

寒い朝がだんだん増えてきて、暖房をつけないと日中さえ冷える日もあらわれた。もう冬がくる。頭をからっぽにしてバイクで出かけたい。しばらく晴れがなかった一週間の、金曜日にひとつだけ晴れの予報があった。週末はふたたび崩れるとも聞いて、すくないチャンスを逃そうとしない。

朝は明るく濡れていた。まだあたらしい水が地面を光らせて、爽やかな日差しだった。たまっていた洗濯物を洗って干してやってから、塩釜仲卸市場でまずあさごはんにしようと出かけていく。いちど出たところで、バイクカバーを剥がしたまま放置してきたのをおもいだして、引き返してしまいなおして出直した。

駅前から知事選挙のための活動車が出てきて、現職知事が名前を叫んで大騒ぎしていた。それを横目に交差点を横切ったとき、選挙カーのマイクが「アッ!!」と大きく叫んで、交通事故の緊迫を準備したら、ただ彼らの知り合いの顔がみえただけだった。もとより長期政権でいながら「批判にめげずに改革推進」と他人事のようにいうのが好ましくない知事だとおもっていたところへ悪い印象を上塗りした。でも引越したてのぼくに投票権はない。

奥松島パークラインをのびのび走れば、日なたは乾いて日かげはまだ濡れていた。鳥の群れが森から飛び立つのがみえた。ひんやりした風が身体をとおりぬけた。ぼうっとしているうちにすぐバイパスについたら、ゆっくり走るもみじマークのバンのうしろについて、のんびり走らせて市場についた。

塩釜仲卸市場は一年前にいちどきたとき1とおなじだった。卸売屋さんの店頭でお刺身のパックをみつくろって、食堂でどんぶりごはんを注文して、勝手に海鮮丼を作って食べさせるようになっている。まぐろ、いか、えびをおかずに大盛りのごはんを食べた。脂っこくないお刺身を選んだら、大盛りを食べきってもまだお腹に余裕があるくらいだった。アンダードッグ・コーヒーというお茶屋さんでちいさいコーヒーをゆっくりいただくあいだに地図をながめて、きょういちにちでどこを回ろうか計画した。

塩釜神社にいってみることにする。バイパスから市内にはいって、急勾配を登ったところに駐車場がある。そこまで数キロ進むあいだに、燃料計が “FUEL!” と警告で点滅しはじめた。帰るころまでには光るだろうなとおもって出てきたけど、朝からこうなるのはすこしはやいなとおもった。ともあれ駐車場にはいって、神社の正面でなくて横からはいっていく裏参道をのこのこ歩いた。

すこし進んだら七曲坂という案内板があって、急勾配を七回のつづら折りでのぼりおりさせる道が古い生活道路であったと説明していた。未舗装のゴツゴツした道が森のなかにみちびいていた。まっすぐ裏参道を進めば神社にはすぐいけるけど、この坂を降りたら表参道からはいりなおして観光できた感じになるだろうなとおもって気軽に降りることにしてみた。山を切り開いた道はむきだしになった巨石の背中に沿って歩くようなところもあって、森の冷えて暗いのが涼しくも湿って足もとを不安にさせていた。ライディングブーツでそろそろ降りていくあいだ、前からも後ろからもひとはひとりもこなかった。

降りてきてひといきついて、表参道にまわりこんだら巨大な大鳥居がドーンと構えて、その向こうにそれよりもいっそう高くまっすぐ長くのびた石段が森をふたつにわけて厳しそうに待っている。塩釜のことを古くてゴツい書きかた(鹽竈)であらわして威厳がありそうだった。この巨大石段をのぼるか、いまきた七曲坂をのぼりなおすか、ふたつにひとつ、どちらも苦役にみえた。石段をのぼることにして、十段ずつ数えては指を折って気をまぎらわして、秋に出かけて夏に到着したみたいに大汗をかいてたどりついた。

境内には七五三の子らの立派な装いの姿がいくつかみえた。三歳の記念ボードをもって写真を撮らせたいのに、嫌だ、もちたくない、といって抗議というほどのこともなく気ままな子もみえた。

歩きながらかんがえた。近くのガソリンスタンドで三リットルだけいれよう。そうしたらきょうの残りは安心できる。それで帰ったら最寄りのスタンドで満タンにいれなおして区切りにしよう。裏参道をとおってもとの駐車場についたら、隣に真っ赤なコペンGRスポーツがとまっていた。すこし先のスタンドめざしてゆっくり出て、すこしだけ給油して、もとの道にもどった。

次は塩釜のとなり、多賀城にある東北歴史博物館をめざしていきます。東北本線の国府多賀城駅というところに直結しているみたいで、はじめてアクセスするときに地図のナビゲーションは細かい路地を複雑に通そうとして、なんどか失敗しては遠回りをしながらやっと到着です。平日のことで、広々とした駐車場は混んでもいなくて、リラックスした感じの観光地です。

特別展としてみせている「宮城に生きる民俗、暮らしを伝えるモノ語り」をみる。ホヤ十個と米一升を交換した。アサリを煮てちいさく売って小銭を稼いだ。養蚕の生産性をあげるために道具をすこしまたすこしと改善した。牝馬が発情したら「人工授精師」に連絡して、最良の精液をもってこさせて妊娠させた。そういう逸話を語らせるのに、ほんとうに使われていた古道具をならべて展示していた。このあたりのホームセンターで売られているなんでもない正月飾りやお盆の道具の消耗品が、実は県下でだけ観察できる形状をもって独特であることをおしえてもいた。

悪霊を退けるためにまじないを通して神仏の力を借りることと、菌やウイルスの類を退けるために薬品を通して科学の力を借りることは、庶民の目からながめればおなじこと。そういって、反復して変わらない構造を皮肉にも諧謔にもつけずにやさしい言葉で指さすキャプションが印象的だった。目に見えない力を信仰して頼ることは、高級でも未発達でもなくて、ただそうあることしかできない。そのことを謙虚にみなおすように迫っていた。あとは女川で保存されていた遠洋漁業の遺産として、寄港先のおみやげで持ち帰られたとして展示されていたアルマジロの精巧な人形がおもしろかった。

常設展には旧石器時代、縄文時代、弥生時代、と区分して出土品を紹介しているようにみえて、限られたスペースで充実した説明をしているようにみえたけれど、ゆっくりみまわるには足が疲れてしまった。ソファにしばらく腰掛けて、立ち上がりなおすのもなかなかたいへんだった。二時をすぎて、お昼ごはんは食べなくてもいいくらいだった。多賀城跡の見物もするつもりできたけれど、もう歩くのはギブアップで、ここまでにする。

七ヶ浜のビーチに最後にいってみようとおもって、駐車場でしばらく地図をみつめて、菖蒲ヶ浜というところまでナビゲーションを設定した。仙台港の方面からの帰り道の、見覚えのある道をかすめながら、七ヶ浜と標識が出ているのに沿って向かっていった。やがて開けた海浜道路に出た。菖蒲ヶ浜は右手にみえたけれど、きょうはすこし走っては長く降りる旅行だったもので、なんだか止まるのが惜しくて、そのまま半島に沿って一周した。西日がもうすぐまぶしくなりはじめるくらいの時間にのんびり走るのは気持ちがよかった。

半島を出るとバイパスにもどって、塩釜と松島を通ってきたとおりの道を帰っていくことになった。スマートフォンの充電アダプタが摩耗して接続不良のことがこのごろ増えてきていて、ごまかしながら使い続けていたのが、この日はすこし走れば勝手にケーブルが脱落するゆるみ具合で、あきらめの気分にさせられた。

明るいうちに家について、夜までの時間は図書館に出かけ直して読書してすごした。週末の雨予報は撤回されていた。