ディアンジェロが亡くなっていたことを知った。51歳。膵臓がんだったという。
訃報をきいておもいだすことはふたつよりたくさんある。ぼくにとっての十代の最後の二年。それから二十代の最初の数年。そのころの友だち。青春にも晩年があったとして、個人的なその時代を象徴するアイドルだったとおもう。思い出すまま口に話させる。
はじめは大学の仲間にならった。スペイン語専攻のNくんとはジャズ研で知り合った。経験はないけどドラムを叩きたいといってはいってきて、リズム感がすごいと先輩たちにほめられていた。
Nくんはソウルからラップまでの趣味をもって高校時代を過ごした。ぼくはおなじころブルースからパンクという趣味でいた。おたがいなんとなくジャズにひかれて集まって、知らないことを教えて教わった。そのNくんがたった一枚選ぶならこれ、といったのがディアンジェロの『ヴードゥー』だった。
ディスクを借りて iTunes にいれて、じっくり聴いたのをおぼえている。はじめはよくわからなかったはず。わかるようになるまで聴いて耳のほうを作り変えた。
Nのお気に入りは “Feel Like Makin’ Love” と “Africa” だった。ぼくは “One Mo’Gin” が気にいった。ふわっとはいってくるイントロの甘い音がすきだった。タイトルの読みかたがわからなくて、お酒の歌かなとおもっていた。英語は下手で、耳も悪かった。
サークルの先輩たちはみんな練習熱心で楽器がうまかった。なかでもぶっちぎりだったのがひとつ上のドラムのOさんだった。ほぼプロやん、とみんないっていた。実際のところ、お兄さんがプロのジャズマンだった。古いひとから新しいひとまでいろんなプレイヤーのことをおそわって、めっちゃ詳しいなとおもっていた。NもOさんに憧れていた。
そのころはみんながそこにいたフェイスブックにOさんが音源のリンクを投げた。ディアンジェロの “Spanish Joint” だった。Oさんがディアンジェロのバンドのことを「やばすぎる」といっているのをみて、Oさんみたいな神からみてもやばいんだ、となんとなくお墨付きを得た気がした。それをなんとなく印象的に記憶している。
『ヴードゥー』から十年経って次のアルバムがまだ出ない、というのはNがずっといっていた。口では待っているとはいっても『ヴードゥー』が聴けることのありがたみで満足しきったようでもあった。
バンクーバーに留学にいって、最初の学期の試験がおわって、クリスマスの休みにぼくはニューヨークにいってみることにした。ちょうどそのとき十四年ぶりの新作が急におちてきた。
ダウンロード版を買って、そのころはまだ使っていた iPod にいれて、飛行機のなかできいたとおもう。ブルックリンの本屋さんを冷やかしにいって、その新譜がふつうにかかっているのがうれしかった。新作は『ブラック・メサイア』といった。
年明けすぐにケンドリック・ラマーの新作も出た。だいたいこの二枚だけ聴いて一年過ごした気がする、と年末にNに話したら、おれもそうだわ(笑)といっていた。お気に入りは “Sugar Daddy” と “Another Life” だった。
年末の前に、夏にディアンジェロが日本にきたんだった。単独ライブを Zepp Tokyo でみた。Nとみにいった。おみやげのタオルでも買っておけばなあとおもうのは、チケットがちと高かったぶんだけ我慢したんだとおもう。
ステージ上でギター弾きまくり、キーボードも弾きまくりで、バンドマスターも自分でやって、すげえなあとおもってみていた。おぼえているのは “Left & Right” をノリノリでおどりながら歌っている姿。それから “Untitled (How Does It Feel)” を演奏しながらバンドがひとりずつ消えていって、最後にディアンジェロのキーボードだけがか細く残って、照明も消えて静かに終幕したときの、ホール全体の沈黙。
Nは建設機械メーカーに就職して、一年目から石川か青森に飛ばされた。どっちかにNがいって、もう片方にNの彼女が飛ばされて、仕事はともかく遠距離で続くかねと相談されて、まあがんばりやといった。
荻窪のシェアハウスにいたとき、福岡からきたKさんというすこし年上の悪い先輩格のひとがいた。メソッドマンとレッドマンのデュオが死ぬほど好きなひとだった。ほとんどそれしか聴いていなくて、ほかの話はぜんぜん通らなかった。すごい一貫性のあるこだわりだなとおもってちょっと尊敬した。
とにかくこれはやばいから聴け、といって『ブラックアウト!』を激推しされて、言われるがままにきいて、たしかにやばいす、となっていた。そのKさんに、ディアンジェロのアルバムにデュオで客演してるしてるトラックありますよ、といって教えたのがやっぱり『ヴードゥー』だった。聴いたけど、これはやばいっす、といってよろこんでくれたのがいい気分だった。ぼくは何度も聴くまでわからなかったのを、Kさんは一発で芯を聴きとっていそうなのがすごいともおもった。
最近はあんまりやらなくなったけど、なんとなく夜中に音楽のビデオを順番にみて止まらなくなるとき、なんだかんだと最後にはディアンジェロを聴くのが落ち着いて、またツアーやらないかなとおもうことしばしばだった。それより先に亡くなってしまった。膵臓がんかあ。
最近みつけたディアンジェロのライブ映像では、Tシャツで出てきておそろしいアドリブソロをとるギタリストが映っていて、いきなりハマった。それは Isaiah Shirkey というひとで、みたことのない柔軟さで指がすべるのを惚れ惚れしてみて、完全にファンになったとおもった。
ディアンジェロ。唯一無二のバンドマスターだったとおもう。亡くなったときいて切ない。それでもなんとなく、失ったというよりも遺されたもののほうに圧倒されるおもいがするのは、音楽はみんなで持ちよるもので、失われたり減ったりすることはそもそもないということなのかも。