ビデオに出てほしいです。どうですか? というのに二つ返事で乗っかって、自宅で撮影があった。

一年前の秋、移住イベントのブースで知り合ったAさんは、引越しを進める過程をひととおり見守ってくださっていて、そのおっしゃるところによると、ぼくはきわめて理想的な移住のモデルケースということだ。一年前のいまごろからAさんには体験移住といって面倒をみてもらって、春から夏のあいだに物件探しに付き合ってもらって、引越してきたあとは枝豆をおすそわけしてもらったり、野球観戦に連れていってもらったりしている。たいへん親しくしてくれているということであるけれど、仮にそれらがなかったとしても、単に統計上の数字ひとつというのではなくて、顔のある生きた人間としてビデオを撮って移住の宣伝にあてたいというのはありがたいことで、フリー素材とおもってなんでも使ってください、と受けたのだった。

この日はAさんとUさんが一緒に午後からうちにきて、インタビューの体裁でぼくのビデオを撮影していった。Uさんは栗原で動画制作のしごとをしているひとで、ビデオの二週間前くらいにボランティアのビーチクリーンにいったときに、彼が取材をしているのに引き合わせてもらって、海をきれいにしたあとその足で奥松島の大高森にのぼって、松島の景観ビデオを収録するのに付き合ったのだった。そのときは手のひらサイズのドローンはじめ身軽な装備で取材していたのが、この日はカメラは複数、三脚、ピンマイクなどを箱いっぱいにお持ちになって、ソファにかけてぼくに話させるのを録画した。

緊張しなくていいので、いつものあなたの感じで、とはいわれたけど、カメラがじっとこちらをみていて、街のためにカメラに映るというときに、いつもいっているようなあやしいわかりづらさのアイロニーは口に出してはいけないとおもうと、いつものように話すのはむずかしかった。特にむずかしかったのは、Aさんがインタビュワーとして問いをあたえたあと、インタビュイーのあなたは応答するまえにその問いを反芻してから本文にはいってください、という指示で、それはAさんの声をあとでカットして、ぼくの声だけを取り出して編集する便利のためという意図はわかって納得しても、その制約がいつもならひとりで話す口をワンテンポおそくして、いつものようには話すことができなかった。結果として、緊張はわかりやすくカメラのなかにあらわれていたとおもう。

家での撮影がおわったあと、すこしやすんでから駅前のお店に移って、歓談シーンも撮影した。店長のHさんは、撮影するのは気前よく許してくれていたけど、自分が映るとなると、ビデオ向きではないので…といって辞退なされて、隣の家のCさんもおなじことをいって、乾杯が終わったらいきますとおっしゃった。パートナーは、顔と名前があらわれるのは控えておきたいといいつつ、後ろ姿だけ参加してくれた。そうしてたくさんのひとは集められなかったにせよ、もとが親密なひろさのお店なので、かえってこれくらいがちょうどいいのかもとおもって、まだシラフの顔が一口目のお酒を飲むところを撮ってもらった。

Uさんはホットミルクを飲んで翌日の仕事のために栗原にお戻りになられて、Cさんはだいたいその二時間後に「まだこないんすかね?」と座がそわそわしはじめたころにやってきて、そのころになるともう何杯も飲みほしたあとのことで、たのしく飲み食いした。お店が開く五時半からはじめて、お店が終わる十時半まで、気づいたら五時間があっというまだった。撮影会というよりも忘年会で、やっぱり口にはひとりでに話させておくのがたのしいものだった。