帰省のために家を出るときにエアコンを止めたのはたしかなのに、その次の朝にタイマーが作動して、誰もいない家をふたたびあたためはじめてしまった。

隣に住んでいる大家さんが室外機が動いているのに気づいて、わざとつけているのかどうかたしかめるようにメッセージをくれた。タイマーを切り忘れたのがミスだったことはすぐにわかった。

この前にもおなじことをやっていたのだ。遅くに帰るのにあわせて暖房をいれておいてやろうといって、深夜に暖房がはいるようにして出かけた。あたたかい家に帰った。次の晩、はやめに寝て夜中にトイレに立ったら、あたたかい空気を感じた。前の晩のタイマーが止まらないで作用してしまったのだった。

前の部屋のエアコンは予約運転をいちどきりで切り上げてくれていた。あたらしい部屋のエアコンは予約運転をメモリーする。つまり、使ったら忘れずにタイマーを切る、というのがまったくならいになっていないということ。

正月休みは三日までと決めていて、あと一週間は帰らない。そのあいだ暖房は誰もいない部屋を一日中あたため続ける。エネルギーを無駄遣いする。とはいえ、それを止めるためだけに帰るのも、それよりおおきな無駄遣いになる。どちらにせよ、ミスひとつでずいぶん環境破壊してしまうとおもって、ずしんと落ち込んで一晩をあかした。

大家さんにはこう返事をした。スペアの鍵があったら、止めるのを手伝ってもらえるとうれしいです。そうでなくて、あけるのが高コストだったら、勉強代としてあきらめるので、見過ごしてやってください。

昼間、大家さんから電話があった。これからはいります、といって鍵をあけて、エアコンを止めて、予約運転を止めるのまでやってくれた。ほんとうにお騒がせしました、といって、年があけたらおみやげをもってお礼しにいくことにする。

しかしタイマーの切り忘れひとつが環境を傷つけて、傷つけたのはお前だ、お前だ、お前だ! と非難で迫ってくるとき、たしかに悪いのはぼくとして、筋の悪さは機械の設計にあるともおもう。悪い設計は環境を破壊する。必要なときは指示するんだから、勝手に記憶するな。