偉大な詩人がだいすきな音楽のことを子どもにはなすようにやさしく語った本。1968年、晶文社。木島始訳。
ジャズといって語られるもの。その主流はたいがいこう語り尽くされているようにみえる。大戦後にモダン化がおこった。50年代から60年代にかけて全盛をきわめた。即興演奏のスターたちが数え切れない録音をのこした。学生運動の参加者たちを国際的にひきつけて、ジョン・コルトレーンを伝説にした。
これら現代の正史として語られるストーリーとはちがう歴史のみせかたをおどろくほど自然に提出しているのがなによりうれしい読書をする。こうやってはじまる。
ルイ・アームストロングは、一九〇〇年七月四日に生まれました。子供のルイが、ニュー・オーリンズの街角で小金ほしさに歌いはじめたのは、十歳になるかならぬかのころでした。(12)
こうしてはじまる絵本のようにやさしい語り口は、ルイ・アームストロングとともだちと家族のまわりにあってそうと意識するまでもなくかれらの記憶に流れこまずにはいられなかった、二百年前のニュー・オーリンズの公共広場(コンゴ・スクウェア - Wikipedia)で日曜日に奴隷が打った太鼓のリズムに、耳でききおぼえの音楽ならアフリカの歌も、スペインの歌も、フランスの歌もみな混ぜこんで、歌いおどったひとびとのことをおしえる。ニューイングランドで、先住民の土地で、ヴァージニアで、ケンタッキーで、ジョージアで、カロライナで、アメリカで呼吸しはたらき祈り生き死にしたひとびとはみななぐさめのちいさな音楽をたずさえていたことをおしえる。記憶のなかにだけあるものを歌い継ぎ踊り継いでいくうちいつのまにかできたジャズはほかのどの音楽とも区別できて、それはアメリカの音楽と呼ぶしかないものであることをおしえる。
ジャズは最初はオーケストラとともにではなく、おおくのひとびととともにはじまったのです、––だれもその名前を記憶にとどめないような幾千幾万のひとびと––コンゴー広場のドラマーたち、ミシシッピー河沿岸のひとびと、ニュー・オーリーンズの行進楽団の演奏者たち、田舎の協会の霊歌の歌い手たち、ミンストレル・メン、洗濯板や錫のたらいでリズムを叩いた子供たち、農園でまったくひとりっきりで畑の叫びをつくりあげた男たちや女たち、楽譜は読めないが旋律を演奏し––いじくったり、こわしたりして、「ラグタイム」をつくった––ピアノ演奏者たち、街角や下宿屋の広間に夕方の時間をすごすために楽器をもち集まった練習をつんでいない演奏者たち。それが、ジャズの生まれかたであったのです。(68)
戦後のニューヨークがいちど激しい競争の音楽にジャズを作り変えて、それからもういちど知的な都会の音楽にジャズを作り変えたあとの世界だけをぼくはきいて知っているというときに、それらの革新運動がもともとそこからやってきた音楽は、競争でも孤独でも教育でもどんなイメージの記号でもなくて、なんの意味もないものがそのままよろこびそのものにほかならない音楽だったことをおしえる。
悲しいむかしのブルースでさえ、その憂鬱なメロディのしたに何かしら良いものへ、何かしら幸福なものへといずことも知らず歩んでゆくようなゆるぎないうねるような拍子をもっていました。ですから、ルイ・アームストロングがシカゴでかれの口にトランペットをもちあげると、そこにいるひとびとは幸福を感ずるのでした。かれがブルースを歌うと、ひとびとはどうじに悲しくもあり幸福をも感ずるのでした。そしてルイが「スキャット」流を歌うと、––「スキー・ダッドル・ド・ディー・ダッドル」、という調子で、これには何の意味もないのです––ひとびとはほとんど横っ腹がさけるまで笑いました。ジャズは楽しいのです!(69)
とにかくルイ・アームストロングが王様だったことをなつかしく語りながら、すばらしい名声の椅子は天才がじぶんひとりのために作らせたものではなくて、かれの前にあってかれを生み出したあらゆる人生すべてが底なしの敬意に値することをあたりまえに称えることの感動的な本。モダンにはまったく関心がないわけではなくて、末尾にならべられたエッセイは、ニューポートの音楽祭がチャールズ・ミンガス、トシコ・アキヨシ、チコ・ハミルトン(とそのバンドにいたジム・ホール)といった、ラングストン・ヒューズにとってみれば若くあたらしいはずに違いなかった演奏家たちをとりあげて、モダンもモダン以前もなくて、みなひとつながりの継承と相続であるのをみせるのもいい。
ジャズギターをおぼえはじめたころ、中野区の自宅スタジオでぼくにギターをおしえてくれた井上さんはジム・ホールの教え子だった。井上さんの短い教え子であったというちいさなことで、ぼくはジム・ホールとも遠くつながっているような気持ちになったものだったけれど、遠くといえばそれよりも遠く、ルイ・アームストロングはもちろんのこと、かれのなかに流れこんだすべてのアメリカの記憶と、アメリカに流れこんだすべての世界の記憶が遠くぼくのなかにもそそがれているとおもえば、ぼくは幸せな人間だ。