北四番丁のミニシアターで映画をみる。ジョン・カーペンターの長編デビュー作をみる。74年公開。

原始的なコンピュータ画面に地球からのビデオ映像が映っていう。君たちの活躍は地上でも喝采をあびているよ。十年遅れでしか交信できないのはわかるにせよ、もうすこし通信の頻度をあげてくれんかね。あと、もう支援はできないから。予算がなくてね。それでは。

宇宙船のすし詰めのコックピットには三人の若い男がいて、爆弾投下をコンピュータに命じている。爆弾そのものもコンピュータをもっていて、特攻隊のようにいさましいことをコンピュータのことばで話して落ちていく。どうやらそれで惑星を浄化して植民地をひろげる仕事を彼らはしているようだ。

オフビートな空想科学コメディ映画であることがすこしずつわかる。宇宙船が舞台であることは、先行きもなければ後戻りもできない密室状況に男たちを閉じ込める道具立てになっている。たとえば先生も休暇にはいって誰もいないクリスマス休暇の男子校で学生寮に居残りさせられたろくでなしの新入生たちがトラブルを量産していく、みたいな話に読み替えてもいい。どうしようもないことばかりが起こるが、おおむねぜんぶが身から出た錆になっている。

飼育室から逃がしてしまったカボチャみたいな異星生物を追いかけて、エレベータシャフトから突き落とされそうになるのを必死でこらえるところがよかった。指先だけでかろうじて壁に捕まって耐えているときに、異星生物に脇の下をくすぐられる、というのがよかった。エイリアンにとってのたわむれが、地球人にとっては生死をかけた我慢になっていて、滑稽なのと必死なのとがいい塩梅にまざっている。

コンピュータに適当に命令して仕事をした気になっていたら、そのコンピュータに介入できなくなって破滅的な結末になるのもよかった。自分がなにをしているのかわからないでなにかを成し遂げた気になっていると痛い目にあうのは誰にでもある失敗で、それをほどよく道徳的にみせているところもよい。部屋の掃除ができなくて高性能爆弾の管理ができないのはあたりまえといえばそうで、それさえもよくわからないで熱狂に踊り狂っているといつのまにか命を落とすというのがおもしろい。