朝から病院にいって手術をうけます。できものは去年の夏にできたもの。
中野の物件からの引越しの最後に、管理人のご夫妻に鍵をお返しする儀式があった日、もう電気は止まって室温が40°Cにもなった部屋を出て、外も暑く暑く蒸しているのを大汗をかきながらスーツケースを運んで宮城に帰った。夜、あたらしい部屋でシャワーをあびるとき、ズボンの紐がこすれたかへその左脇に赤黒い炎症ができていた。あんまりひどい見た目だから病院で診てもらうのがよさそうとおもいながら、次の日にはすこしやわらいで、その次の日もやわらいだから、様子をみた。消えきるまではいかなくて、二週間もしてまだ赤みはあったたけど、はじめほど切実でもなくなったから、しぼむにまかせた。いずれ腫れはひいて、押せばわかるしこりだけ残った。
ジムのトレーニング内容が発展して、パワーベルトをおなかに巻いて運動するようになったとき、なんでもなかったものがふたたび気になりはじめた。押せばわかるくらいでしかなかったしこりが、きつくベルトを締めるとちょっとした痛みになった。激痛というのでもないけど、もう半年も飼っているものが自然治癒するのはあまり想像できなくて、いよいよ外科を受診した。先生はしこりを指でたしかめて、粉瘤ですねとおっしゃった。手術でとりますか? というので、そのまま予約をとりつけた。
手術の朝はごはんを食べずにまっすぐ病院にいく。呼ばれたら病院着に着替えて、病棟をあるいて横断して、このさき手術室とあってものものしいガラス扉の奥にうながされた。おはようございます、よろしくおねがいしますといって横たわった。はだけた身体に心電図の装備をつけてもらった。腕に血圧計、指に血中酸素計もつけてもらった。仕切り布が目とおなかのあいだをさえぎった。麻酔の注射がおなかにズシンと響くのを感じた。
すこし膿をとるくらいで、すぐ終わることもあるかなと想像したのが、それよりもしばらく長かった。肌の感覚はなくて、耳の感覚は爪切りみたいなはさみがパチンパチンと切り、ちいさなノコギリが回転して断ち切る音をきいた。たまにチクリと痛みを感じていうと、麻酔の追加が何度かあった。三分くらいで終わるかなとおもって、頭のなかで時計をかぞえて気を紛らしていたのを、おもったよりも長いぞとさとるうちにわすれた。五分、十分と経って、だんだん指先が冷えてしびれて、知らないうちに腕と脚に力がはいっているのに気づいて、つとめて弛緩させてもまたこわばるのをほぐすことだけ考えて時間が経つのをまった。そろそろ終わりかなというときに、なおノコギリの音がきこえて、まだ続きそうだと知らされるのが切なかった。
とはいえ終盤にかけて先生は粉瘤のことを「ハンコンになっていますね」といって進めるのをおしえてくれた。なんのことかはよくわからなかったけど、触診よりはよくわかりはじめているらしいから、切なさの見返りはあるようすにいくらか勇気づいて待った。とれました、といって、仕切り布のうえから肉組織の赤いかけらをみせてくれた。切った肌を縫い合わせて引っ張る重みを感じながら、もうすぐおわる、もうすぐおわるぞとしのいだ。
縫合糸はしぜんに溶けるものにするので、抜糸はいらないです。半年くらいかけて溶けます。そのあいだ、さわれば固さがわかるかもしれない。テープでとめてあるのは、自分ではがそうとはしないで、勝手にはがれるのを待ってください。むこう二日はシャワーだけにして、そのあとはお風呂にはいってもいいです。いずれゴシゴシこするのはやめたほうがいいですね。
おききしたあと、ベッドから起きあがって、しびれてつめたい肘からさきが他人のものみたいになっているのをほぐした。超現実的なおもいがして、外からみればおそろしくスローにみえたはず。ここで着替えてくださいねと看護師さんがみちびいてくれたちいさな部屋で着替えた。ふたたび病棟を横切って、一般の処置室で体温と血圧をとりなおした。気分はどうですか、ときかれて、意識がふわっとしていることをおしえた。血圧が低くなっていることをおしえてもらった。90に60とでていた。やすんでいかれますかとかけてもらって、待合室ですわらせてもらいたいけど、ベッドに横になるほどではなくて、大丈夫ですとおうじた。
摘出した組織のことは病理検査というものにまわされていくことになる。その結果が出たらまたききにきてください。一週間から十日ほどでわかるはずなので、再来週あたりに「できましたか」と電話で確認してください。できていたら、また外来にきてください。予約はいりません。
そう看護師さんが最後の案内をくれて、おしまいです。カラカラになった口のなかも喉も、待合室の自動販売機であたたかいココアをあたえてやったらよろこんでいた。