近代日本語小説の古典を読む。長野の飯山の冬景色のなかで若い教員が明晰な自意識と愚鈍な社会関係のあいだに板挟みになって苦悩する。

瀬川丑松は小学校教員で、被差別階級の生まれであることを隠してはたらいている。前の下宿がよってたかって非人をおいだして歓喜雀躍しているのに嫌気がさして、蓮華寺の下宿に移った。

猪子蓮太郎という著述家の本をだいじに読んだ。猪子は「われは穢多なり」とおそれなく言い放って、おれはおれ、と開き直って、言論で活躍している。丑松はかれにあこがれている。ただ父の戒めは「隠せ」といった。それがたったひとつの希望だとわかってもいた。

父が牛に突かれて急死したのをとむらいに小県(ちいさがた)に帰る道すがらふたりの男にであう。ひとりは議員候補者の高柳。もうひとりは高柳の対抗馬に立った弁護士の応援に乗り込んだ猪子蓮太郎そのひと。あこがれのひとに出会って丑松は願う。このひとにだけ生まれの秘密を告白したい。苦難をわけあって励まし励まされたい。しかしなんどもあるその機会にとうとうその覚悟を決めたと信じても、生き残るための秘密を打ち明けることはできなかった。

猪子と丑松は、ほんとうの秘密のことはさておいて親交をふかめて、高柳の噂をきく。資金繰りを悪くして首のまわらなくなった高柳は、金のために地主の娘をめとった。被差別地区の地主の娘で、そのことを高柳は「隠せ」とはかっている。選挙に勝つために娘を買って、しかもそれを恥じて隠す高柳のことを猪子は憎む。飯山に帰る川舟で丑松は高柳が美しい新妻ともども人力車で乗り付けて選挙談義をしているのをきく。

やがて蓮華寺の下宿を高柳がたずねていう。家内があなたのことをよく知っているというのです。わたしどものことを知っているのはあなただけです。あなたのことを知っているのもわたしどもだけです。ここはどうぞひとつ、お助けになってください。一生のおねがいです。そうしたほうがあなたのためでもあるのです。

なにもたすけることはありません。おもいあたることがないのですから、といって「隠せ」の戒めのとおりに高柳をやりすごすやいなや、噂は町をかけめぐりはじめる。小学校に穢多の教員がまぎれこんでいる…

噂が噂をよんでいったいだれがそうなのかと問い詰める巷間の目つきに丑松が苦悩するのはわずかのあいだのこと。悲劇的な暴露なり私刑なりがやってくるよりはやく、猪子が石に打たれて急死すれば、ついに天涯孤独とかんじて丑松は決心をかためた。戒めをやぶる。告白する。

といって、告白のあとにある旧社会からの指弾もまた語られることにはなるが、丑松は毒々しい自意識の悲嘆からは自由になって、同族のよしみでテキサスにこないかとさそわれるのにしたがって飯山をはなれる。こうして幕引きになる。

告白したいのに告白できないことも、告白したくないのに告白させられそうになることも、犯していない罪のことで悔い悩むのは不条理そのもので、苦しくものめりこんで読む。

のめりこんで読ませるくらいひっかかりもない文体、それはひっかかりがないとはいっても俗っぽいそれとはちがってある。ゴテゴテした美辞麗句にはしないけど、切り詰めて言葉すくなというのでもない。ものごとをよくみて正確に述べるということの徹底しているようすはわかるにしても、こんなふうに書くことのすぐれた技術をみる。古くさいといえばそうであっても芯がとおってよく読めるというときの古くささは、百年前の小説の古さを伝えるよりも、むしろ百年後の薄さ浅さのことをあばいているようにもみえる。

かびくさいものかしらとおもってタイトルと主題だけをしってもう読んだ気になっていた古典を読む。いいものを読んだとおもう。たしかにこれは古典とおもう。

丑松がふと蓮華寺の娘の夢をみるやいなやたちまち恋慕しはじめて、まずしい出自のその娘が天女のような寛容さをかれにあたえるための道具みたいになっているのはちとぞんざいにもみえた。ぞんざいさに目をつむれば、もはや制度上の非人ではないものの子と没落士族の子とが対等にわかりあうことのできる光景は、たしかにうまく趣向されたあたらしい時代の設定のようにもみえる。

秋田の地元では町内からはなれた位置のことを「集落」くらいの意味で「部落」といっていた。うちの部落よ、のようにだれでもいって、みくだしたりへりくだったりする含意のものではなかったとおもう。東京の学校にすすむというときに、おばあちゃんがぼくをつかまえていった。あんた東京にいったら「部落」なんていっちゃだめよといった。とんでもない言葉なんだから、といった。

その意味するものが東京にいってありありとわかったものではなく、どういうみにくい風習がどのような全体像としてあってどう形を変えていまは消えたとされるのかいまも残っているとされるのかはわからない。そうであってもかつてあったはげしい差別心の相をおしえてよどみない小説を読む。

骨にしみるように寒い天長節の夜に宿直室から出て、風もなく声もなくしんとしずまっていれば、銀河のながれる空をつたうようにして「丑松、丑松」と父の声がひびくのを幻聴する情景が随一によかった。