青森旅行にいきます。四半期コレクション展をみるために青森県立美術館をおとずれます。

なんとなく美術館のウェブサイトをながめたときに

ウィリアム・ブレイク《ヨブ記》を久々にご紹介する海外版画展示も見逃せません。
https://www.aomori-museum.jp/schedule/17343/

とみじかく載せているのを読みました。これひとつのために青森にいくのがあきらかに理にかなうことと確信して、すぐに計画を立てたのでした。

ブレイクは18世紀から19世紀のイングランドの詩人画家です。その詩作品はよく印刷されて流通していて、たとえば岩波文庫に日本語訳がはいっています。ただ、かれの原作品はしばしば画に詩を書きこんでふたつをまったく不可分なものとしてあらわしているというときに、詩のほうこそアクセスはよくても、画のほうはなかなかお目にかかれないものです。

2019年にロンドンのテート美術館で回顧展があるのをみにいきました。はじめてロンドンをおとずれたそのときに市内で画集とか参考書をあつめてもきたのだけれど、その次の年にコロナウイルスで国境が閉じてしまったとき、ドイツから発送した荷物は発送中というステータスのまま宙吊りになったままあてもなくなってしまいました。スーツケースにいれて持ち帰ることができたペンギンブックスの詩集だけ手元には残って、画のほうは写真も撮らずにきたものだから思い出にしか残らなかったのでした。

コレクション展はまず四層吹き抜けの巨大地下空間でシャガールの大規模な連作四点をみせます。つづけて奈良美智、棟方志功とそれぞれ青森県ゆかりの作家をおおきく取り上げて、とくに前者のポップな作品群が国際的な訪問客をおおいに引き寄せているようすです。

コレクション展のなかに企画展が挿入されていて、それは「教育版画」という主題といいます。県下の教育現場で学生をまじえながら集団制作された版画群をみせます。国家がどのようにして農業者ら漁業者らを抑圧したか語ろうとする版画はおのずと反戦と反核のメッセージをみちびきだします。見過ごすには惜しいものです。

それなりに興味深くみながら進むも、館内図をみるとどうやらブレイクは最後の部屋まであらわれないらしいから、すべてじっくりみている時間はなさそうとあきらめて足をはやめつついきます。

出口に向かう階段の前の小ホールがブレイクにあてられていて、ここに『ヨブ記』全22枚がかけられてあります。ちいさな作品が壁にそって一列に並んで、非彩色のエングレービングは細密な線の狂いなさをはっきりみせています。

サタンはヨブを苦痛におとしいれることの承認を神よりじきじきに得て全身で喜びを表現しています。腫れ物でヨブをいたぶるサタンのなんと人間らしいエネルギーに満ちて躍動していること! その細密画の周囲にめぐらされて地も図もなくまざりあって祈りをつぶやく散文は画家の指のうごきを保存して、詩人のあるいは個人的な祈りをつたえているのが感動的なようでもあります。

第11図 “Job’s Evil Dreams” の天辺に刻まれている聖句はブルージーです。

My bones are pierced in me in the night season & my sinews take no rest

My skin is black upon me & my bones are burned with heat

The triumphing of the wicked is short, the joy of the hypocrite is but for a moment

Satan himself is transformed into the Angel of Light & his ministers into Ministers of Righteousness

第14図 “When the morning Stars sang together & all the Sons of God shouted for joy” は圧倒的です。人間に星をあやつる力などない。光あれ、天あれ、星あれ、水あれ、生命あれ。確信にみちたサブテキストと修飾が画をゆたかにとりかこみます。ちいさな画面のなかにシスティーナ礼拝堂に拮抗する感動があります。

こうして「ヨブ記」のことを目からおしえてよく読ませます。ひとつだけの神にただちに帰依させるとまでいかなくても、超越的な霊性は存在する、その存在のしたで人間のすることは小賢しいたくらみばかりのことがせいぜいで、そうでなければ耐え忍ぶことのすでに上出来であることを納得させて、ゆたかに充実をおもわせるちいさな版画の連作です。

信じることといえば、ほとんどすべてのひとがただ通り過ぎるだけの部屋のなかでちっぽけな細密画のなかに永遠の真実のきれはしがかすめたと信じることならできそうなものです。うまくあやつれない英語であってもがまんして読む度胸はどうやら持てていて、それでこのちいさな頭ごときにも世界のひとつの像がむすんだようだと直感できたら、おまえの勉強はむくわれるぞと若いひとたちみなによろこんでおしえてあげたいものでした。