第二次大戦に枢軸国が勝った。アメリカは東西に分割された。ナチスがニューヨークに、日本がサンフランシスコにそれぞれ傀儡政府をたてて、中西部は緩衝地帯になっている。南部には南部で古い白人主義の統治が復活しているらしい。
日本帝国は西海岸に根拠をおいて南米の開発に乗り出したのがそのまま泥沼化して身動きがとれなくなった。そのあいだ、ドイツ第三帝国は圧倒的な科学力をもとにウクライナを開発して、地中海を排水してもとの海底をそのまま大農地に変え、アフリカでは「原住民を片付け」て、いきおいはそのままに月、火星、金星へとアーリア人の生存圏を広げている。強制収容とガス室の経営はなお盛んで、まだしも人道的にみえる西海岸を目指すユダヤ人はおおい。
ロバート・チルダンはサンフランシスコの商人で、支配層の日本人向けに戦前のアメリカ民芸を売っている。ニューイングランド製のテーブル、米英戦争時代の鏡、南北戦争で発射された拳銃、金ぴか時代の戸棚、ミッキーマウスの腕時計とか、そんなものを揃えている。ガラクタにしかみえないものを偏愛する日本人の心性を理解できないとおもいながら、白人劣位の人種主義を内面化しておべっか使いと卑屈の体現者になっている。
田上信輔はサンフランシスコ湾を見下ろすオフィスに勤める高級官僚で、ベルリンからの音速旅客ロケットでやってくる実業家バイネス氏との会談に備えている。ナチスがプラスチック素材を応用して自動車から宇宙ロケットまで作っているときに、日本は単に技術的な遅れをとっている以上に、金属の不足が開発を滞らせてどん詰まりになっている。バイネスとの契約で先端技術を手に入れたい。なんとしても商談をまとめないといけない。そのためにまずはアメリカ民芸をおみやげにしてご機嫌伺いをする計画でいる。商談そのものが東京からの高度な暗号電報で指令されたものだったことをおもいだせば、実はバイネスこそナチスのスパイではないかというほのかな疑念ももっている。
フランク・フリンクは旧アメリカ軍のニューヨーカーで、日本の統治の下にいればせめてガス室には送られないから、西海岸に逃げてきたユダヤ人でもある。敗戦から15年、きのうまでは工場労働者をしていた。表向きには集合住宅のインテリアを製造していたその工場は、利益をそれよりも日本人収集家向けに高値で売るための一世紀前のアメリカ拳銃の贋作づくりであげていた。社長を罵倒してクビになった。白人の社長に頭をさげるか、日本人の労働委員会に頭をさげて職を替えるか悩む。同僚のエド・マッカーシーはいった。それよりもこうしよう、おれたちであたらしくアメリカの現代工芸をはじめよう。オリジナルのデザインで、いままでにないものをつくろう。
ジュリアナ・フリンクはフランクの妻で、いまは別居してコロラド州キャノンシティに暮らしている。中西部は豊かではなくも日独のどちらからもそれなりに自由な政治的立場をもっている。柔道のレッスンを終えたあと、ハンバーガースタンドでトラック運転手のジョー・チナデーラと知り合う。戦争ではイタリア軍に従軍したが、肌の浅黒さがかれを零落させて、いまでは肉体労働をしているらしい。性的に親密な関係となっても、素性の知れなさと底しれない暴力の予感は消えず、不安を育てながら不貞の沼にはまりこんでいく。
小説はこうした群像の姿を無作為にならべかえながら語って、やがてみな一同に介するほどのこともなく、ただおなじアメリカにすこしだけ冒険的な日常生活を暮らしているさまをみせていく。何人かは易経がもたらす託宣に心の安定をもとめ、何人かは米英が日独を倒した架空の世界のありさまを描いた空想小説に没頭する。高い城の男というのはこの四人の誰でもなければ、天皇のことでも総統のことでもないし、それを思いだすまでずっと問題にさえしない。
ひとが悩み考えて、勇気を出して生きることが軸になっているのがいい。たったひとつのおおきな筋書きに小説の中心を占めさせていない。枢軸国が勝った世界のことは景色を占める小道具か、思考をささえる補助線としてだけ付随的にあらわれて、政治経済のことはほとんど語るに値しないものかのように突き放しているところにヒューマニストの度胸がみえる。
チルダンははじめ若い美学家の梶浦氏にアメリカ民芸を売り込むのに必死で、それでいて梶浦夫人を性的に誘惑する妄想にとらわれるのがいかにもあさましい。エド・マッカーシーが「現代工芸」と呼んで誇りにおもう職人技のアクセサリーを、商人の傲慢さで中抜き販売のスキームに作り上げて売ろうとするのも醜い。ひどく不愉快なこの負け犬はしかしある瞬間に、ネズミのようにへつらって生きることを拒否して、領分を超えた声をしぼりだすところまで自分を押し出す。みっつの引用がそのまま序破急として、世俗の勇気の深い印象をともなっている。
この状況は、これまでに経験してきたどんなものともちがう。高所にある日本人が、受け取った贈り物を点にも届くほど褒め上げ––それから返してよこしたのだ。チルダンは膝ががくがくした。どうすればよいのか検討もつかない。顔を真赤にして立ったまま、袖口をいじっていた(287)
やはりそうか。この目の前で起こった一部始終は、アメリカ人の努力に対する残酷な却下なんだ。シニシズムかもしれないが、いまいましいことに、おれは釣り針からはりす、おもりまでのみこんでしまった。むこうはおれを甘い言葉で言いくるめて、庭の小道を一歩一歩とこの結論へ導いていった––アメリカ人の手作りの製品はなんの価値もないが、安っぽい幸運のお守りのモデルにはなる、と。(295)
「これを作った連中は」とチルダンはいった。「アメリカの誇り高い芸術家です。このわたしも含めて。ですから、安っぽい幸運のお守りに、という提案は、われわれに対する侮辱であり、謝罪を求めます」
「謝罪してください」チルダンはいった。(298)
これよりも政治的な大義をもった勇気のことも書かれている。ナチスの秘密警察がアメリカ人を殺害するための目眩ましに自分が利用されそうになっていることを知ったジェニファーが混乱のなかで暴力に立ち向かうシーンがそうだし、オフィスを襲撃するナチス親衛隊の暴力を田上が南北戦争時代の拳銃で押し返すシーンもそう。
いずれも混乱と葛藤は視点人物の主観のなかに長く滞在して、内的論理をとうとうと語らせたあと、なにが事実でなにが妄想なのかわからないところまで押し出していくのもすごい。主観的な説明はかならず混乱するし、客観的な説明は決してすべてを語らない。たったひとつの真実はないが、真実そのものがないというほど虚無主義でもない。納得と平穏をもたらすものはすべて真実といってもよい、という態度がこのましい。
失意の田上が例の「現代工芸」のなかに救いをもとめて、うらぶれた公園のベンチにかけて銀細工をみつめて問答を挑むところもまた圧巻だった。
もう降参しろ、と彼は銀の三角に語りかけた。早く深遠な秘密を吐き出せ。
深みから釣り上げられた蛙のようだな。わしづかみにされて、深い水底になにがひそんでいるかを告げろと強要された。だが、この蛙はあざ笑いさえしない。(371)
言葉と知識は憂鬱を呼びよせる。言葉と知識によってしか心理を回復させることはできない。田上の切実な魂をして架空の美学論に向かわせて、しかもどこにもたどりつかせないのがいい。妄想か幻想かもわからないまま迷い込ませる先に、おそろしい騒音と渋滞、空をふさぐフリーウェイ、白人だらけの世界をみせるのもいい。
浅倉久志訳の文庫版で、ずっと家の本棚に刺さってはいたからもう読み終わったものとおもっていたものを気まぐれに再読するつもりで読んだら、どうやら最初の数章だけを読んでそのままにしていたらしいことにやがて気づいた。はじめて読むかのように読んだというのではなくて、たしかにはじめて読むのだとおもう。
寝る前の気軽な読書のつもりでいて、あんまりおもしろくて電気を点けたまま寝てしまうこともあった。読むのがたのしみだからはやめに布団にはいって、読みはじめたら止まらなくなるほど目がさえて、時計もみないまま一気に何百ページも読んだ。子どものころの読書みたいにベッドのなかで目をきらきら輝かせるような読書をした。