和歌山旅行は三日目、折り返しの日です。この日は本州最南端をおがんで、田辺市の熊楠顕彰館によりつつ和歌山市までもどって泊まります。
めざめれば海からの光が遮光カーテンごしにも部屋をあかるくしていて、カーテンをあければ目もあけられないほどのまぶしさです。目の前には橋杭岩という奇岩群があって、岩場をあるいてたのしんでいるひとの姿もみおろせます。それは下調べしていなかった絶景のことで、おもいがけない出会いとおもっておりていってみます。
まだあいていない道の駅の裏にまわるとそのまま岩場へとはいっていけて、波が侵してひいたあとの水たまりをわたらせて、自然と奇岩にとりかこまれます。雨降りに備えて履いてきた防水靴がよく役に立ちます。かがみ込んで水たまりのなかをのぞくと、岩とおなじいろの数ミリの貝がうごめいています。ゆっくりとはいってもタニシの仲間にしては動きすぎるとおもってまんじりみれば、ぴょこぴょこと足が生えて動いているのもみえて、それはヤドカリだったと知るのでした。おなじスケールのかわいいサカナ、カニもちらほらおります。
かがんでみても立ち上がってながめても、無数のうごめきが視界のなかでころがって、後景の岩の模様ともども視点を変えるたびにあたらしい景色が瞬間にうまれては消える。どのカットを切り取ってもうつくしく成立して、すべてがひとつながりの連続のなかにある。印象はジャクソン・ポロックの絵を飽きずにながめるときの態度に似て、自然の景色は人間の抽象を軽々と超えるのがみごとです。文化のために環境を壊すことになんの意味もないことをおそわる。
しばらく海辺をながめてから、ゆうべ薄暗がりにみた本州最南端をあかるい日差しのなかにおがむために出かけます。チェックアウトして、車を出して、コンビニでかんたんな朝ごはんを調達していきます。
潮岬(しおのみさき)にきのうとは反対周りにはいっていきます。ただちに左手にくしもと大橋がみえて、それを渡れば紀伊大島になるのを、そこに寄ってもいいことはこのときまで考え漏らしていたまま、いま渡らなければあるいは死ぬまで渡れないかもしれない。ええいといってその大橋に飛び込んで紀伊大島に突入します。
ループ橋をぐるりとのぼった先はちいさな島を貫く気持ちのいい二車線路です。道の駅で観光地図をちらりとみたのをおもいだしながら、いちばん奥にあるはずの灯台をめざします。あまり急でない道をゆうゆういくと、あるカーブの向こうでおばあさんの荷台つき自転車が二車線のまんなかをあぶなっかしくウロウロしているのがみえて、速度を緩めます。向こうにもこちらの姿をみえていて、避けるかとおもいきや、その反対にこちら側に突入してきなさる。猶予をもちつつブレーキを強めたら、助手席に雑にひろげた荷物がみな床に落ちていきました。互いにあぶない運転になったとおもう。しかしおばあさんの自転車はなにもなかったかのようにゆうゆう去り、こちらはひとり、なんやねんあのばあさん、といわずにはおれず、後味は悪いとはいっても事故になるよりはまだしもよかったと気を取り直して、落ち着いてからいきます。
樫野崎と書いてある駐車場にいきあたれば、それが紀伊大島のいちばん奥、樫野崎灯台に向かうための車にとっての終着点です。灯台までの見晴らしのいい道にはイスラーム建築を模して日本語とトルコ語の書いてある記念館、オスマンと書いたお土産屋さん、ムスタファ・ケマルの騎馬像がみえます。エルトゥールル号遭難慰霊碑と立派な石塔が建っているのをみれば、ここがその舞台とわかって、トルコとの友好と交流を担ってきたのがこの串本町だったということを思い出させます。灯台から太平洋をおがんだあと引き返して、真っ白な制服にサングラスをあわせた東洋人のじいさんが遭難慰霊碑に敬礼したまま固まっているのをみる。こうして樫野崎をあとに、潮岬へと引き返していきます。
きのう見かけたキャンプ場のあたりに観光タワーの表示がみえて、その駐車場にいれようとして、満車に追い出されます。みればその目の前の道路に路上駐車の列がずらっと並んでいます。ややこしいかなといってきのう停めた砂利道の駐車場まで進んだら、ゆうべと違って日中は三百円の駐車代をとるよう。さらりと払って停めさせてもらいましょう。
丘をのぼって五百メートルくらいあるいて、バレーボールあそびをしている若いグループの横を抜けて、本州最南端の石碑をみます。突端にある展望台から際限なく遠い水平線をみます。足元の岩場に降りて冒険しているひとの影もいくつかみえて、崖のしたへはどうやって降りるのか定かでないので、うえからながめるだけにします。落ち着いた年齢の観光客のおだやかな賑わいは、オーバーツーリズムと呼んで悲惨にさせない平和となります。
正午前にお昼ごはんを済ませておきましょう。観光タワーといってお土産屋さんになっている建物に食堂があって、そこでは近畿大学が養殖したマグロのどんぶりをだしています。売り文句は「近大卒で安心安全」です。観光地価格でお高めなわりに量もすくなめとみえてしまったけど、熱いおみそ汁とひじき煮がついて、食べ終わればぴったりちょうどいい量なのでした。マグロは赤というよりも白に近いピンク色で、そうはいっても脂質でコッテリというほどでもなくて肉々しいところもあって、美味でした。
腹ごしらえが終わったら駐車場までの道をゆっくり散歩ながら車にもどって、旅の折り返しです。きのう来た道を引き返していく格好です。すさみまで海岸のクネクネ道をいって、自動車専用道路で上富田(かみとんだ)まで、あわせて一時間半くらいです。そうして田辺の町にはいれば、そこは古い町があたらしい装いをもって、あまりけばけばしくしていないところが岩出山のおばあちゃんの家のまわりを思い出させて、はじめておとずれながらなつかしい気がするのでした。細い路地にみちびかれていくと南方熊楠顕彰館です。二時間弱ばかり見学します。
顕彰館をはなれて、たちまち田辺を去るのも惜しいといって、古い町も見学していきましょう。駅前を横切って、闘鶏神社と案内が出ているほうにいきます。おおきな鳥居のわきの駐車場にとめます。
闘鶏神社は源平合戦のおりに当時の別当が熊野水軍をひきつれて源氏に加勢して壇ノ浦まで心強い味方になったという故事の伝わる場所です。その別当を湛増(たんぞう)といって、弁慶伝説はかれこそ弁慶の父親として伝えています。その闘鶏神社で弁慶と湛増の威厳ある像をみます。
観光案内所で地図をおぼえてから駅のほうにもどっていけば、広場に弁慶、地酒屋に弁慶、時計屋に弁慶、ラーメン屋にも弁慶がイラストなり店名なりでしのびこんで、ほんとうに弁慶のおもいでの町です。駅前商店街のカフェでもちみたいにねっとりした口触りのジェラートを持ち帰りにしてなめながらあるきます。抹茶と黒ごまのジェラートです。駅をのぞいてみて、ペットボトルの麦茶をひとつ手に入れます。
南紀田辺インターから自動車道に乗っていきます。きのうとおなじ印南からきょうも渋滞にハマって、ダラダラ走りで動きながらもやがて尿意がつのって、まだ先は長いというときにいちど下道におりてトイレをすませることにします。川辺インターでおりて、コンビニを探して適当にいってみると、街なかよりも山のなか、日高川沿いの山道にはいってしまい、信号もなく路肩もせまく、いちど止まって地図をみて立て直す余裕をもつのもむずかしい。5キロほども走ってやっとちいさなスペースをみつけて、数台の自家用車がとまっているならびにとめさせてもらって、もうここでいいやと立ち小便にします。人気などない川べりの山道で安心して放尿しはじめたら、とたんに釣りあそびを終えた家族が川からぞろぞろあがってきてしまいます。こちらが放尿しているすぐ隣の車で荷造りをはじめて、申し訳はないけれどもなにをいわれることもなく、しかしたまった尿は終わることを知らなくて、果てしない時間を過ごしたのでした。手洗い代わりに麦茶を指にぶっかけて、Uターンしてふたたび自動車道にのります。
もどれば渋滞は解消したようで、和歌山まで快走です。午後七時、駅東口のルートインホテルにチェックインします。
もうすこしはやく着いて、はやめに食事してはやめに寝る予定でいたのを、この日も寄り道が到着を遅らせて、遅すぎずともはやくはない時間になったのでした。ホテルから駅を横断して、西口の繁華街に出て、和歌山ラーメンを食べに行きます。
アロチという新市街の「丸高」というお店まで20分ほど歩いて、一組だけの列を待ちます。古い食堂スタイルのお店で、席に通してもらうなりラーメン、はやずし、餃子、瓶ビールと注文させてもらいます。はやずしとビールで小腹をみたすうちやってきたラーメンは、豚骨醤油スープにやわらかい麺で、中華屋さんのそばよりもパンチはあって、ギットリはしていないのが空きっ腹にするすると落ちていって、満足となります。
満腹になった身体をひきずってホテルまでの道を散歩とするのもいい気分です。和歌山駅に寄って、大阪行きと紀州田辺行きの電車がたくさんのひとを行き交わせているのをみます。駅の売店にお土産コーナーがあって、地酒のちいさな瓶をひとつ包んでもらいます。南方酒造は熊楠の父が興した商売で、その「世界一統」は弟が銘柄化したお酒です。ビジネスマンの弟との関係は、熊楠に死がおとずれるまで絶交におわったのでした。