前の日に白浜の記念館をおとずれたときに、学芸員さんが「田辺の顕彰館」と呼んで、そこに資料の大部分が所蔵されているというのをきいておぼえたもうひとつの記念施設をおとずれる。

旅行の計画を立てたときは記念館のほうにまず興味があって、旧邸宅は状態もわからないし別にいいかな、と見過ごしてもやむなしとしていた。顕彰館はその旧邸宅の隣にあって、どうやら研究拠点になっているらしいというのにひかれていきます。

着いたらまず入館料かなとおもって財布を出そうとすると、ツアーがあるので参加しませんかと、きのうもおぼえのある流れになります。十人あつまったら資料庫をのぞかせてくれるというのが、ぼくで六人目の参加者となって、すぐに二人連れが二組あらわれて打ち止めです。

たいした待ち時間もなく学芸員さんにみちびかれて、関係者専用の金属の扉の先でスリッパに履き替えます。お手洗いにいっているひとがいるらしいのを資料室の手前の事務室で待ちながらきくと、きょうのこのツアーも年に二回だけのレアな機会とわかります。そんなことはつゆほどもしらないでふらりとやってきて、しかも狙いすましたみたいな時間に居合わせられたことになります。

不織布マスクをつけておはいりくださいというのにしたがって、資料室のなかはいります。左手に書架がずらりと奥まであって、手前から中国書、和書、西洋書とならんでめくるめくような景色です。中国王朝史のための本棚は特注のもので、史記から明史まで、それぞれの資料のおおきさに応じて、扉に書名を彫ってわかりやすくして、そのなかにていねいな平積みに史書がしまってあるのでした。勉強家だったことと分類家だったことが本棚をみてわかるようになってあります。さらに先には植物標本類がよく分類されて置かれているようすながら、その立派な本棚をみているうちに聞き漏らしてしまいます。

ひろくはない通路のぼくは入口側にいて、奥のほうをのぞく前に、きょうの特別な機会のためにふだんは非公開の資料を長机にひろげてレクチャーしてもらいます。若いころの資料から順に、少年時代に『和漢三才図会』を写経したという几帳面なノートをみる。のちの夏目漱石と正岡子規の名前がみえる大学予備門の名簿で、漱石は成績優秀、子規は落第、熊楠もしたから落第スレスレの位置で、翌年には落第、という点数表をみる。アメリカ時代の切手収集ノートに、南北戦争のころの南軍の郵便切手を保存しているのをみる。サウス・ケンジントンの住所を書いたロンドン時代の名刺と、大英帝国博物館の読書室にはいれる半年ぶんの定期券をみる。水彩による蜘蛛のスケッチを載せた田辺時代の日記のいちページをみる。昭和天皇への進講のおり標本をもちはこんだというキャラメル箱が「ミルクキャラメル」「バナナキャラメル」とあって、ミルクのほうは森永の、バナナのほうは台湾の会社で作っていたというのをきく。バナナキャラメルのパッケージがうまそうにみえる。

研究者のかたでもふだんははいれなくて、手前の閲覧室でみていただくんですよ、と学芸員さんがおっしゃって、おそれおおくもなる。通年で湿度と温度を管理しているというし、書架の足元には害虫ホイホイがある。すべての資料は南方邸とその蔵にあらかじめ分類してあったのを、熊楠が遺し、娘が田辺市に寄付して、市は引き取ったうえ資料庫つきの顕彰館をたてたときけば、自治体のサポートに感謝しきりです。資料の散逸はあまり問題とならずに、日記はじめ手書きのものを判読する作業がいちばん手つかずになっていることをききます。

三十分があっというまで、資料室から外にうながされます。しばらく夢見心地でまだみていなかった展示パネルを逍遥して、二階にのぼれば本棚があって、伝記とか論文集とかはもちろんで、さらにすこしでも熊楠に関連していると認められるものであれば、植物採集とか民間伝承とか男色研究の一般書から、わかい研究者を支援して著作をならべたコーナーまであります。売り物ではないものを本屋さんの気分でながめます。

窓口のところで料金を支払うひとのすがたがみえて、ぼくは入館のゴタゴタのうちに無賃入館者になっていたとわかって、財布を出して近づけば、入館料は無料にて旧邸宅の観覧は別料金ですとおそわる。ずいぶんもてなしてもらって無料というのも居心地悪く、旧邸宅の券をいただいて、お釣りのぶんは寄付をあつめる箱にいれさせてもらいます。

顕彰館を出て裏手にまわるとそこが旧邸宅になっています。井戸をおさめた上屋をすぎると母屋の勝手口があって、とおりかかると奥で書き物をしている年配の女性がチケットをもぎりに出てきてくださる。こうして管理をしながら熊楠の長年の日記を判読する仕事をなさっているときく。これも資料の一部として、熊楠が切り抜きをスクラップして何冊ものファイルにあつめたものをみせてもらう。英字の学会誌からの一記事もあれば、大衆紙がインクのしみの落としかたをおしえた記事もある。梅とウナギの食合せで食中毒を起こすことはないといましめる記事、冷や飯をバターで炒めてチキンライスにするとお子さまはおお喜びいたしますとおしえる記事をみる。

肘のあたりを蚊に噛まれたのに気づいて、勝手口にとどまるのはそれくらいにして、おおきな庭をあるけば楠の大木、柿の木、みかんの低木がみえます。水木しげるの『猫楠』が描きあらわしたのにおそわった、あの蟻にペニスを噛まれる場面も、パルモグレア藻の培養実験をする場面も、隣家の商人との暴力抗争の場面も、みなここで起こったことかと思い描いて、風と鳥と虫の声しかきこえないおおきな空間を呼吸していたら、半袖シャツをきていた腕から指から首までをみな元気のいい蚊たちにめっぽう刺しにされて、これは厳しいと足をはやめることになります。平屋の書斎は十畳ばかり、その隣には資料庫としていた土蔵があって、いずれも靴を脱いであがることは許されていないから、入口から首をのばしてつくづくながめて、散策はおしまいです。

前の日の記念館も、この日の顕彰館も、ふだん非公開の場所に特別にまねいてもらえる機会に日付も時間もぴったりのタイミングにたまたま立ち会えたこと、それは熊楠の足跡めぐりとまず派手でない主題のためにはるばるおとずれてきたことをなにか神秘的な力によってねぎらってもらえたようにおもわれて、ありがたいとおもうばかりなのでした。