海の日は市民センターで国際交流イベントがあるのを手伝う。

地域ではたらく外国人に日本語をおしえるボランティア団体が、いままででいちばんおおきなイベントを企画するといって、その人頭に駆り出される。熱波のおり、野外のブースの面倒をみる仕事を割り当てられて、炎天下でひどく体力をうばわれる。

この春にナイジェリアから赴任した英語の先生のブースを手伝って、こどもたちにサッカー版ストラックアウトをあそばせる。九時から四時まで外に立って、こどもたちの列を制御しつつゴールの修理とボール拾いをひたすらする。

はじめのうちはメッシとかロナウドのシャツを着たサッカークラブの男の子たちの絶好の的になっていて、力加減をしらない暴力衝動に満ちたキックの面倒をみてやっていた。その子らにひととおり手を焼きつくしたあとならば、ふつうの男の子たちの遊びかたをたいがい笑って見過ごせるようになっていた。

はじめの一時間のピークが過ぎたあとならばこちらもだいたいペースはつかめてきて、よそのブースで遊び尽くした子たちが「もう一回やってもいいですか?」といってチャレンジしにくるうちに、自分で片付けて好きに遊んでいいよといって、日かげで休ませてもらいながら回復する時間もすこしならとれるようになった。

ひとを狙ってボールをぶつけないことと、未挑戦の子に順番をゆずることをいい含めながら面倒をみていたら、はじめやんちゃ坊主とみえた男の子たちは暇な時間には好き放題にあそびながら、ちいさな子がきたら自発的におしえてあげるように成長していた。子どもたちが助け合いながらあそんでいる景色をながめるのはたいへんなやりがいだった。

英語の先生たちには日かげにいてもらって、おとずれてくれた親子が英語を話す機会を存分に満たしてもらう。裏方役のこちらはひたすら日差しを浴びながら労働する。先生がいつのまにか浴衣に着替えてみんなとたのしそうに写真を撮っているのをみれば、彼女にとってもたのしい機会をぼくは汗をかきながら支えているんだと自分に言い含めて、ひたすらこどもの散らかしを片付け続けた。

五時までときいていたイベントは四時には自然とはけた。後片付けをしたあと、在留外国人のみんながきてくれて、これから打ち上げでカラオケにいくけどいっしょにきませんかと誘ってくれた。が、あんまり消耗していてもう無理だったので、かえってすぐさま昼寝した。そもそも前の日の朝は関西空港のホテルにいて、帰ってくるなり前日の準備をして、飲み会にひとつ出てからきょうを迎えていた。よくがんばった三連休とおもう。ぜんぜん休めなかったけどね。

二ヶ月前くらいに団体の代表がごはんに誘ってくれたときに「こんどイベントがあるんですよ」ときかされたのに「すごい、いいですね〜」と答えたら次の日にはスタッフのグループチャットに招待されていた。飲みの場で気軽に招かれたわりには最初から妙に高い期待をもたれているような気がして、もちろん手伝ってくれますよね、みたいな雰囲気にだんだんシフトしてるのがつらかった。蓋をあけたら炎天下にいちにち立たされているのも、ひとづかいが荒すぎるのではとおもって我慢してやっていた。

ふたをあけてみたらこれはふたつの団体が合同開催するイベントですと前の日にはじめてわかって、どうやらぼくには関係ないほうの団体のほうが動員力をもっているようすがうかがえた。おのずとあちらの代表さんがなにかと指令を出す役となっているのを、別にぼくはこの知らない人間の手駒になるためにはたらきにきたのではないんだけどな、とグレたおもいでながめていた。知らない男がリーダーの面をしている、というのは卑屈きわまるみかたながら、そもそもこちらは過労をおしてわざわざ無料奉仕をしてさしあげているわけで、これくらいの文句は包み隠すものでもなかろう。

こどもたちも外国のひとたちもたのしそうに過ごしている様子をみて報われた気持ちにはなっても、また手伝いたいという気持ちにはならない。むしろ、次ははっきり断るのが吉と判然する。