宮城県美術館でワシリー・カンディンスキー(1866−1933)の特別展をみる。

展覧会冒頭のあいさつは、カンディンスキーのことをロマン派の末裔としてとらえなおそうという意気込みを語っている。理知のひとではなく情動のひととして彼をかたりなおしたい、それが展示のおおきな方向性のようだ。

まず伝記事項から確認して、画家のキャリアを開始するまでに、次のような経歴をたどったことをおしえる。幼少期にピアノとチェロをおぼえる。モスクワ大学で法学をおさめる。学者への道をあきらめて印刷会社にはいり、一年だけ商業デザインの仕事をする。齢三十にして一念発起、画家をこころざしドイツに移住する。4年後、ミュンヘンのアカデミーに入学する。

冒頭部の展示はよかった。遅い駆け出し時代のカンディンスキーをみる。版画「夕暮れ1」は黒い画用紙のうえに古いドレスをまとった物憂い女性の影をうかばせている。表情よりもドレスの修飾に信念はかたむけられている。のたうちながら伸びる苔のような青白い斑紋が女性の身体を包むゆったりしたドレスの輪郭をぼんやりかたどって、地の黒を切断処理しないでそのままにしてあるから、女性の姿態は前景にうかびあがるのと同時に、後景にしりぞいていく。おなじ趣向の「鏡2」も秀逸だ。

テンペラ「商人たちの到着3」は壁一面のおおきな作品で、主題のスケールのおおきさがそれに張り合っている。後景ではロシア正教会らしいあの玉ねぎドームをいただいた城塞の門がひらいて群衆が坂を下ってきている。群衆の姿は点描で抽象化してある。中景には帆船があって、浅黒い肌の商人たちが壺、瓶、荷袋をならべて客をよびこんでいる。前景にはコートを着た若い男がひとり穏やかに顔をかたむけてたたずんでいる。筆触はまだらで、地の黒を浮き上がらせたり沈み込ませたりしている。空まで黒々とした空間のなかに晴れた朝をおもわせる景色が成立しているのが幻想的でよい。

これら初期作品群のあと、表現主義のあの抽象的な相がならんでどこまでも突き抜けていくが、好ましい印象のものはあんまりなかった。頭を理念のモードにしてやってくることができたならもっと熱狂できたに違いないとはおもう。とはいえこの日はそういう気分にはならなかった。禍々しくも華やかなはずの「カーニバル・冬4」は、熱帯のインコの群れをブルドーザーで屠殺して死体を放り込んだ穴をのぞいた景色みたいで、好ましくおもわなかった。

1911年の『芸術における精神的なもの』という著作で作家が創作手法の統合をねらったというときの重要語句が「内なる響き」とか「内的必然性」だったという。必然なるものがなお可能であるというところになら、たしかにロマン派へのかたむきが聞こえる。ただしそれは19世紀へと退行してしまっただけにもみえる。破壊とか悲劇とか価値転倒をこころざしてかえって退行に陥っているのをひどくつまらなくおもう。

バウハウスに着任したのが1922年のことだといい、そこでの第一作として紹介されている版画12点の連作「小さな世界5」は、白地の余白を活かす新傾向が心地よくみえる。曲線や偶発性を織り込んだ画面は、キャプションのいうとおり「音楽的」とそれを呼ぶことに躊躇しなくていい。とはいえ、快い気分にさせられるのは版画の小品くらいのもので、よりおおきな作品群のほうは生気を欠いて無機的な方向に進んでいったようにみえる。ここにもふたたび、ロマン主義のうちでも手に負えない破滅願望的な相がみえる気がする。

学生をおしえる仕事をバウハウスでするにあたって「内的必然性」というどこまでも主観にしか属さないシロモノを説明しなおす責任をとって Spannung とこれを呼び変えた。英語になら tension と置き換えることのできる語で、とりわけ工学用語としてのそれを念頭に、多義的な意図をもって借りてきて導入したときのカンディンスキーの定義は「その内に生きている力」という。日本語にするなら「潜在力」とか「潜勢力」とでもいえるか。あらゆる物体に内在するそれの配置に注意しながら構成を練り上げればおのずと正解にたどりつくはずという期待には、しかし決定論の影がなおもきざして、穏やかでない。

展覧会の掉尾にはそこで作家が没することとなるパリへと脱出したあとの作品群がならぶ。ロシア人嫌いのナチスが政権をとって逃げた先で、みたことのない種類の自然光に打ちのめされたというカンディンスキーの晩年の作品は、わずかにユーモアを獲得しつつあったようにみえる。歪んだ線描やパステルカラーの修飾がそこここにあらわれるようになる。

ミロにみられるような得体の知れない架空の生き物が画面上に生じることさえある。たとえば「複数のなかのひとつの像6」は、チンアナゴの怪獣みたいな意匠を画面の中心において、その力強いモチーフから集中を散らすように視線を四方に向かわせる企てから自由になっているのがよい。

とはいえ、これは「ミロみたいで好き」といわされたようなもので、いまだ不徹底な感触もある。ようやく見出されたこのモチーフの先にあったかもしれない到達点をみないままカンディンスキーは亡くなった。

ひととおりながめたあと会場をもうひと巡りして、これはいいなとおもえるのはいくつかの版画くらいしかぼくにはどうにもなくて、あれこんなものだったかと肩透かしを食らったような気分もある。

表現主義というとき、ドイツのそれは「芸術家の内なる声」を純化しようとしたもので、ロマン派の戦略を20世紀初頭の感覚で再現したものだった。いまだ印象主義の土俵のなかで戦っているというところがあって、その外にはまだ脱出できていない。その意味でこれはまだ19世紀に属している。

この展覧会にはなかったアメリカ芸術のことをかんがえて、こんなことをおもえば勉強になった。40年代のアメリカにポロックやロスコが出てきておなじく表現主義と名指されるようになったとき、そこでは「芸術家の内なる声」のような精神性よりも身体性を重くみて、純化された普遍を注意深く構築する(普遍に属さないものを排除する)よりも作品の生成過程そのものを作品にする。偶発的なものの痕跡が画面に残る。こういうあたりに、とうとうロマン主義からの脱出を果たした20世紀の芸術の姿があるようだ。

冒頭のあいさつにもどって、カンディンスキーが情動のひとだったという再紹介のしかたは、ドイツ表現主義そのものがロマン派のもうひとつの相であったことがわかれば、腑に落ちる。必然性があるといういいかたは、運命はあるといっているようなもので、ぼくはあんまり好まない。ロマン派の系譜に位置づけられたカンディンスキーのことなら、ぼくはあんまり好まない。

情動はおおいに持つべきだとおもうけど、情動を理念で正当化するのは蛇足とおもう。自発的であることがすばらしい質であるのはよいとして、それを必然や運命の成就に還元しがたるのも蛇足とおもう。