石巻の遊楽館という施設でコーヒー教室があるのに誘われていく。
誘ってくれたのはよくごはんを食べにいくお店のマスターで、こんど知り合いがイベントやるからおいでよ、と誘ってもらったのは、夜だけどコーヒー飲んじゃおうとめずらしくたのんだあるときのことだった。
マスターはサイフォンでしっかり淹れてくれるけど、ぼくはというとコーヒーメーカーのボタンを押して淹れるだけだ。数年前なら毎日のむコーヒーのことを手でひいていたし、そのときのフレンチプレスがカップボードにまだある。とはいえ、そんなことをしばらくおもいだしてもいなかった。つまりはほぼ素人ということだけど、たのしそうなのでいく。
サンデーの駐車場からマスターの車に乗せてもらう。すばらしく晴れた日曜日のことで、自転車に乗っていく。マスターはそれをみて「車でこなかったの、ていうか半袖で着たの?!」と二度おどろいて、自分では長袖のシャツをきて、ちょっと暑いとはおもうけどさあ、といっておられた。
コーヒー教室をやってくれるのはマスターの昔からの同級生で、仕事のかたわらコーヒーの飲み比べをたのしんでいるうち、いつのまにか豆の仕入れと自家焙煎にも手を出していた。自作の焙煎機でちいさくやっているから手広く販売するというほどでもないけど、たとえばマスターのお店のコーヒーはここで仕入れている。そんなかたなのであった。
店舗のないお店の名前は「南米屋」という。きょうの資料ですといって2次元コードをわたされたのを読み取ったら、生成AIであつらえたという自作のウェブページ1が立派に動いている。本業は理学療法士ときけば、探究心も好奇心も並々ならないひとなのだと直感する。バドミントンと釣りの腕もなかなかのものらしい。
六名ばかりがあつまってコーヒー教室がはじまれば、たとえばこんなことをおしえてもらう。アラビカ種は香りに個性があってポピュラーな豆ですね。ロブスタ種というのは苦みの強い豆のこと。
コーヒー、それは苦いもの、という先入観が根強いのは、このロブスタ種を質よりも量といって大量生産して、味なんて二の次みたいにして缶コーヒーやインスタントコーヒーを大量消費していたことに起源がある。苦いコーヒーをガブガブ飲んではたらきまくる! みたいな形式がコーヒーブームのはじまりだった。いまでは古びた感覚のこととなるか。
こんにちの主流派の動向は、香りとか甘みあるいは酸味に注目して、そこにアラビカ種の多様な豆の個性があらわれることに「わたしなりの好み」をみつけだして楽しむことに移っている。それはちょうど「この日本酒が好みだ」とか「このクラフトビールが」といって、カップ酒や発泡酒をすこしずつ敬遠していくのに似ていますね。
原産地の違いが味を変える。豆を精製するやりかたも、焙煎する度合いも、コーヒー一杯の表情をおおきく変える。いろいろ飲み比べるほどに違いがわかったりして、たのしい趣味です!
まだ淹れる前の焙煎豆を比べてみる。浅めのミディアムロースト、それを一歩さきに進めたハイロースト(焙煎時間でいうと20秒くらいのびる)、さらにいっそう深いシティロースト、といわれるがままに見比べると、たしかに色合いにグラデーションがあるのがみえる。いちばん深い煎りの豆は、黒光りしていかにも濃い味がしそうだ。
一般に、浅く煎るほどフルーティな酸味があらわれやすく、深く煎るほど甘みと苦みが引き立つ。といいながら、浅煎りの豆でドリップを実演してもらう。ひとくちいただくと、たしかにこれはフルーティだったり酸味と形容できる味とおもう。苦みはない。
コーヒーの抽出には段階がある。序盤には香りと酸味があらわれる。中盤には甘さや旨みがあらわれる。終盤に苦みがあらわれる。苦みとは渋みのことで、こんにちの主流派はこれを敬遠する。
苦ければ苦いほどいいというのは香りにとぼしいロブスタ種の飲みかたで、先祖返りして缶コーヒーの飲みかたをするくらいなら、わざわざドリップしないで缶コーヒー飲めば十分だよね、となってしまう。そういうこと。
ドリップやってみたいひといればどうぞといわれて、やらせてもらう。さっき浅煎りを飲ませてもらったのを踏まえて、こんどは深煎りの豆でやってみる。
深煎りは甘さをひきだす焙煎法だから、中盤にあらわれるそれを狙って抽出してみましょう、と先生がいうのをきいて、かんたんな算数で時間とお湯の量をはかりながら淹れる。するとたしかに甘くて濃いもったりしたコーヒーがあらわれる。
かえりみれば、苦くて濃いほうが好きで、浅いのも嫌いじゃないけど薄いかなあ、と自分の好みのことをかんがえていたのは、例のロブスタ種で濃いインスタントコーヒーを大量消費させた昔のやり口に刷り込まれていたようすです。甘さを出すうちやがて雑味があらわれるということがわかれば、深煎りをもったり飲むよりも、浅煎りでスッキリと香りをたのしむほうに俄然と興味がやってくる。
おたのしみの変わり種といって先生が次に淹れたのは、樽のなかに豆と桃をいっしょにいれて発酵させて、桃の香りを移して精製したという豆で、浅煎りのそれはほとんど紅茶のような香りが立っている。というかこれってピーチティーですよね、とまでくると、おもしろくはあるけどこれもやっぱりコーヒーとして飲む意味はあんまりないでしょうね、という。
先生が魔改造したエスプレッソマシンというのもあって、それには GAGGIA とかっこいいタイポグラフィのロゴが銘打ってある。なんとなく『ターミネーター』から飛び出してきたみたいな佇まいをしている。魔改造したというのは、タイマーと温度計と圧力管理のノブを増設したようなぐあい。
エスプレッソをいれるときにはとにかく細かい粉に挽くのがだいじということで、これまで使ってきた手動のミルはお役御免となって、専用のマシンで挽いていくのをみる。それでエスプレッソをいれると、ちいさな透明なカップのなかにみごとなクレマが出ている。
それだけならただのエスプレッソだけど、これにもうひと手間かけていく。氷をいれたグラスのなかでエスプレッソを水で割って、150°Cでスチームした水でかき混ぜるのだ。こうしてできあがるのはアイスコーヒーと呼べばそのとおりなんだけど、ミルクもいれていないのに細かい気泡で茶白く泡立って、クレマもいっそうよくたっている。
表面の濃厚そうな泡も、グラスのなかで泡立ちがうごいているようすも、アイスコーヒーというよりギネスビールだ。しかしひとくちの分け前を飲ませていただくと、柑橘に似た鮮烈な香りが突き抜ける。こんなコーヒーは飲んだことがない、それでもこれはたしかにコーヒーに違いない、と明瞭にわかるのがいかにも贅沢なアイスコーヒーだ…。
エアロカーノとこれを呼ぶのだとおそわる。空気の層を作るからエアロで、水で割っているのでアメリカーノのこれは亜種で、造語するとエアロカーノとなるようす。なんとも…ネクストレベルの味がする。
マスターが「おれもエアロカーノやってみたい」といって先生の監督下で淹れると、機材トラブルの余波で手動ミルで細挽きした豆はそれでもエスプレッソのための細かさには達することができなかった。抽出するときにお湯が落ちてこなくて、失敗となってしまった。すこしだけ落ちてきた液体はコーヒー色をしているけど、豆の脂がギットリと浮いて、豚角煮の煮汁のよう。水で割れば飲めはするけれども、さっきのように美しいエアロカーノを淹れることのむずかしさがよくわかるのだった。
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南米屋 コーヒー教室, 2026-10-12 閲覧 ↩