スティーブン・スピルバーグの監督作を新作でみる。
殴られる男の視点からはじまる。怒気と汗で蒸れた顔がこちらの顔をのぞき込んで叫ぶ。振り回されてロープに、そしてマットへ叩きつけられる。プロレス興行のリングのうえのことだ。
カメラは退く。赤のレスラーが青のレスラーを叩きのめしている。叩くたびに観客は総立ちになる。ひとり立ち上がらない男がいる。背後の声がいう、次に全員が立ち上がるときにそいつをよこせ。銃が突きつけられる。
ジェーンはどこにいる? それはあとからだ。ゆっくり立ち上がって外に出ろ。
プロレス観戦には似つかわしくない青白い主人公の男をダニエル(ジョシュ・オコナー)という。勤務先の米軍関連企業「ウォーデックス」から機密情報を盗み出したことで追われている。そのために恋人のジェーン(イヴ・ヒューソン)を人質にとられてもいる。
盗んだ情報とジェーンの解放を交換条件にして、上司のスキャンロン(コリン・ファース)は私兵をたずさえてダニエルを包囲する。しかし彼が謎のデバイスを突きつけると、それに備わるなんらかの抑止力は包囲網を解いて、ダニエルとジェーンをヴァージニアのプロレス会場から脱出させるのだった。
いっぽうカンザスシティでは、剣呑なニュース番組が北緯38度線に互いの兵隊を集結させて開戦間近らしい米露の緊張を煽っている。お天気キャスターのマーガレットは雹の予報をたのしげに伝えたあと、もっと真面目なニュースキャスターに転職したいからとバンドマンの彼氏に引越しを持ちかける。
予報のはずれて雹の降らなかった街へ開け放った窓から、一羽のカーディナルがアパートに迷い込んでくる。マーガレットを見つめ、マーガレットも見つめ返す。引越しの話にもどるなり、彼女はその続きを外国語(ロシア語? ポーランド語?)で話しはじめる。冗談はやめろよ、いつのまに学んだんだ? と尋ねれば、ずっと英語で話してたわよと応酬する。
なにか超自然的なことが起こる気配がする。あるいはそれはもう起こっているようだ。ダニエルという名前がマーガレットの口をついてあらわれる。思いついたままの電話番号にかければ彼へとつながる。運命的な力がはたらいて、ダニエルは機密情報をカンザスシティへ運び、マーガレットは会ったこともない彼をそこへ導きはじめる…
映画が映画らしく作られていることに安心を得られる映画だ。超能力的な現象がいくつもの形でおこるとき、それが特殊効果の光や色と音で塗り固められた嘘としてあらわれることは決してない。目にはそこにいるひとだけをみせて、表情によってなにごとかを悟らせる演出が巧みだ。
たとえば、廃止された軍基地へとダニエルを助けに向かうマーガレットは、角をひとつ過ぎたところで車を立ち止まらせる。カメラは運転席の彼女の数秒の表情を黙って映す。それから無言で引き返し曲がり直していく背中を映しなおす。
その数秒の沈黙がちぎれそうな緊張であるとまでいわないが、超常的な現象が彼女に備わってあるとはいっても、霊感のはたらきには停止と集中が必要だったことを雄弁におしえる。どうせ超能力であるなら角を行き過ぎる前から行き先がわかっていて、すこしの迷いもみせずにハンドルを切らせてもおかしくないはずのところ、いちど行き過ぎて停止させるところに、馬の調教をゆっくりみせるかのごとき快楽がある。
馬といっておもいだすことで、ダニエルがはじめ隠れ家としてあてがわれた荒れ地のファームハウスに敵の軍団があらわれて黒塗りの車で取り囲んだとき、その一台をうまく盗んでカーチェイスのはじまりを告げるショットがすばらしい。ボロ小屋を突き破って一台の黒塗りが飛び出すのを取り囲んで、何台かの黒塗りが右へ左へうごめきながら運動して芝を横切るのを空から映すやりかたは、力強く丘を踏んで動くバッファローの群れを連想させて、アメリカ映画の原風景をどこかおもわせるのだった。
カメラのとらえるアクションの雄弁さによって虚構を説得する、その達人芸がみものだ。ふたりの人間がいて、そこにあるものはまったくおなじであっても、ふたりの目がみているものはまったく違う。カメラの魔法に黙ってそれを語らせている。ことばに語らせれば興ざめとなるものをそうさせないところに技がある。
消防車で避難した先の巨大なガレージで、ダニエルたちが透明化して逃げ出そうというくだりがある。敵の軍勢はみえない人間の足音をきいて駆け寄るなり、みえない段差にけつまずき、みえないドアに跳ね返されていた。気絶した肉体が勝手に持ち上がって動くようにみえれば、それは透明になったものたちがこうやって運んであげているんだよ、とカメラは次のカットで親切におしえてくれる。
透明であるのにそこにある、というのをみせるときに、特殊効果の色とか音の過剰によってごまかしたがる態度はわずかにもない。透明とはむしろ色のないことで、色のないところからかすかな音をたてて注目をひく。みえないものはそこにある、みえないものがそこにきこえる、という演出に寂びがある。
むやみなことばは少なくとも、必要なことばのことならきちんと語らせているのもいい。たとえば印象的であったのは、マーガレットが幼い時分の記憶をとりもどして、忘れていた出会いのことをその口に語らせるときのことで、その情景をカメラは再現しようとしない。そこにあるはずの窓ガラスをくぐり抜けた特異体験のことを視覚に訴えてみせずに、それが「温かいお湯のカーテンをくぐるよう」だったと彼女はしずかにただ話す。
興ざめな場面がひとつもなかったとはいえない。乗用車から貨物列車に乗り移る大アクションをやったあと、休むまもなくパニック発作の描写があるのは勢いが強すぎて「いませっかくいいところが過ぎたんだからちょっと待ってくれ」とおもわずにおれなかった。またそのすぐ次のシーケンスで、知る権利はあるやなしやとか、善玉と悪玉のおじさんふたりをして議論させるのは説教臭くて興を削いだ。
説教臭いといえば、結末部にある仰々しい演出もそうではある。いよいよ秘密が明かされた(ディスクロージャー)ときに、世界の隅々でことばを失ったひとびとが佇立するのをねっとりみせれば、なあんかだるいし嘘くさい。とはいえ、それはいくらか偽善的だとわかりながらもたぶんには国際的なジャーナリズムを励ますためにやったことで、戦争を煽ってその片棒をかつぐよりも、人類のためにもっとおおきなトピックはあるでしょうよ、と諭しているのは、いくぶん安っぽくみえても悪くはないメッセージであったとおもう。
劇伴音楽もたいへんよい。メロドラマチックな予定調和のほうに流れないのにすごみがある。というのは、たまに「なんか変な旋律だな」「変な独奏がきこえるな」とおもってわずかに音楽に意識を向けさせられることのたしかにあったのだった。邪魔になるほどのスコアだったらそれは失敗でしょうけど、不思議と耳の集中をうながすスコアは、ことば少なな映画のためにうってつけであったようだ。
音楽はジョン・ウィリアムスだとエンドロールにおそわる。ゆったりとしたクラリネットが奇妙な音階をなぞるトラックがどこかにあったとおもうんだけど、どの場面にそれがあったかは忘れてしまった。暗いシーンだったような気はするから、修道院の場面だったかな?
印象的な音楽のことをもうひとつ補っておくと、マーガレットが幼いときに歌ったメロディを媒介して過去の記憶を解き明かすときに “Someday My Prince Will Come” が流れれば、これもあのバッファローの群れのイメージと似て、アメリカ映画がそこを辿ってきた歴史そのものの思い出をほのめかすようで、静かに沁みるさまがある。