アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥの監督作を新作でみる。
黒い画面にちいさな光をみせて、星空のようだ。わずかずつ増えながら白点が流れるのを見送る。やがてそこは夜空ではなく深海で、星にみえたものは気泡であることがわかる。
ディガー(トム・クルーズ)が目を覚まして「ダーリン」と呼ぶ。おなじベッドに横たわっていたのは、片目を爛れさせて生気のない顔を骨と皮だけの肉体に乗せた白猫のマギーだ。
彼の経営する石油会社はアメリカ政府と共謀してグリーンランドで採掘事業をおこなっている。メタンガスの漏洩を無視して掘削を進めたら、掘削基地が大爆発を起こした。ワシントンDCの何倍もある氷河が氷床から分離した。海流と気流にみちびかれて流れていけば、ヨーロッパ大陸にそれは衝突するだろう。ヨーロッパ中に津波を起こして、あらゆる海岸で何十万人をも殺すだろう…
あまりにも白人だらけのアメリカを舞台にして、中年より年増の白人男女に紋切り型の罵りことばを叫ばせあう演出に閉口する。最初の30分で席を立つチャンスがなんどもやってくる。きわめて強いストレスを与える映画。
劇の構造はすこしずつ明かされる。ストーリーの全体像がねっとりと現れるにつれて、語り口の巧みさにびっくりするのはたしかなことだ。禁じ手的な大どんでん返しに訴えるというほどのドラマもなく「最初からこのつもりでしたよ」とすましてみせている。
批評の枠組みの外に出たところで批評の映画を作りたかったようすがわかる。狙いどおりに巧みなストーリーテリングを果たして、上等とはいいがたい映画を作っている。巨匠の椅子に丸くおさまることを拒否して破滅の道へと踏み込んだイニャリトゥはいよいよ偉大な映画作家だ。
下等を志して作りきることが勇気である。露悪、とふつうこれをいう。ここまで露悪を徹底したのは偉い。これほど下等な映画にたずさわった俳優たちも肝が座っている。そして、これに関わったものみながすべからく評判を落とすのがこの映画のしかるべき帰結となる。その勇気はまれにみるものだ。
トム・クルーズさんのことなら、醜い姿態で登場しても落ちぶれているのは見かけだけで、あたらしい表情を開拓することはできなかったようだ。ヒロイックな態度をとればそれはもう出涸らしにみえるし、滑稽な態度をさせても頬に舌をいれているのがわかる。偉大な俳優のことを下手とか尊大とかいう気がもとよりなくとも、永遠に自分自身という役柄しか演じられないひとなのだなとおもえば気の毒になる。
グロテスクな情景を映すことにかけて天才的な映画で、劇場でなければ最後までみることはできなかっただろうとおもう。忍耐してながめれば、エンドロールの背景に未来都市の姿を幻視させるのをお見事と納得できる。とはいえ、いちど拝めばもう十分で、もういちどみたいとおもわないだけでなく、願わくは残りの人生でも積極的に敬遠する。